【中国撮り鉄奇行②】中国・撫順煤鉱鉄路

2008年6月。

私は初めて中国の遼寧省・瀋陽の空港に降り立ちました。

小竹直人氏の「中国最後のSL撮影ガイド」やインターネットで情報収集をした結果、遼寧省や黒竜江省などの東北部に、比較的多くの蒸気機関車が残っていることがわかったからです。

 

それまでにも北京や上海、西安といった有名な大都市には仕事で行ったことがありましたが、それ以外の地方は未知の場所です。

「中国の地方は英語通じないよ」と友人から聞かされていたので、英語も中国語もわからない私は少々不安でした。

しかし、街中を見るとすべてが漢字で表記されています。

じっくり考えると意外と意味がわかるのです。

 

そう考えて落ち着きを戻した私は、最初の目的地を目指しました。

 

最初に私が目指したのは瀋陽からバスで1時間ほど行った場所にある露天鉱・撫順炭鉱でした。01露天鉱とはすり鉢状の炭鉱で、日本で言う炭鉱とは少し違い、ここは露天掘りというスタイルで、中国では多く見られる形式の掘り方の炭鉱です。

Googleアースなどで見てもよくわかるのですが、奇妙で独特な景色が広がる場所です。

 

街のはずれに突如、すり鉢状の谷が現われるのですが、東西に4km、南北に2kmほどの谷の中にある炭鉱からは、石炭を運び出す専用線(撫順煤鉱鉄路)が通っています。

段々畑のようになった所を、運搬用の線路が何度もスイッチバックを繰り返し、谷底へつながっているのです。

 

そのすり鉢内のどこかに、数台の蒸気機関車があるという情報をキャッチしていました。

 

私はまず露天抗のふちから、ざっと見渡しますが、遠くのほうは、靄がかかってまったく見えません。

 

炭鉱内の路線には貨車を牽く貨物列車がたくさん走っているのが見えます。

まるでNゲージか何かを見ているような光景です。

 

しかし、すべてはチェコスロバキア製などのワニのような形をした電気機関車ばかりで、蒸気機関車の姿は見えません。02すり鉢の中をのぞき込むと、雛壇のようになっていて、下に降りることができそうです。

 

私は雛段を3段ほど降りてみました。

炭鉱の中はときどきダイナマイトの爆破音のようなものが聞こえてきます。

 

とその時、今降りてきた上のほうから音がします。

 

シュッ シュッ シュッ シュッ

 

私はあわてて上を見上げました。

ところが姿はまったく見えません。

 

おそらくすり鉢の外側にあった線路を通過しているのでしょう。

 

私は慌てて機材をたたむと、最上段まで走って上がりました。

しかし、そこには機関車の影も形もありませんでした。

 

空耳だったのでしょうか。

しかし、あの音は間違いなく蒸気機関車のものでした。

 

すり鉢の外には炭鉱労働者の通勤用の路線と、石炭の運搬用の線が通っていますが、万一、そこを通ったのだとすれば、目の前で見られたはずです。

 

私はしばらくそこで待つことにしました。

しかし、炭鉱内のどこを見ても、視界に入る限り煙は見えません。

 

ふと嫌な予感がしました。

 

この頃、中国国内においても、蒸気機関車はどんどん淘汰されており、昨日まで動いていたのに、ある日突然廃止になっていた!なんてことが頻繁に起きているのを聞いていました。

 

(もしかしたらここも、無煙化の波に押され、廃止になってしまったのかもしれない……。)

 

考えたらさっき聞こえた蒸気機関車の汽笛だって、もしかしたら私の空耳だったのかもしれません。

蒸気機関車が見たいという願望が、他の騒音を蒸気機関車の音だと勘違いしたのかもしれません。

そう考えるとだんだんと自信がなくなってきました。

 

初めてきた炭鉱でこんな目にあうなんて、ついてない。

私はあきらめに近い重苦しい気持ちになり、炭鉱を後にしようとしました。

 

と、思ったその時です!

 

シュッ!シュッ!シュッ!シュッ!

 

……どこかで蒸気の音がかすかに聞こえます。

 

シャーッ、シュッ!シュッ!シュッ!シュッ!

 

どこだ!?

 

私は必死で炭鉱内を見回しました。

目を凝らし、じっくりと見まわしました。

その気分はほとんど“日本野鳥の会”です。

 

 

しかし、音はすれども姿が見えず。

私はカメラのズームを最大にして探してみました。

 

しかし、電気機関車の貨物列車だけで、どこにも蒸気の影は見えません。

 

おかしい……。

 

私は全神経を集中して、蒸気機関車と思われる音のする方角を特定しました。

どうも電気機関車が止まっているあたりから聞こえます。

 

と、その時、貨物列車の後ろのほうでかすかに煙が!

 

カメラのズームを最大にして見ると、最上段の線路に停る貨物列車の最後尾から煙が流れてきているようです。

しかし、最後尾が木の影になり、見えません。

 

見たところ直線距離にして1kmほどでしょうか。

私は炭鉱の淵を伝ってその方角を歩いて目指しました。

 

しばらく歩くと、炭鉱の淵が畑になっている場所に出ました。

畑では、おばあさんが野良仕事をしていました。

「ニーハオ!」

私がつたない中国語でそう言うと、おばあさんは仕事の手を休め、何か私に言いました。

「どこから来たんだい?」

そう言っているように見えました。

農家のおばあさんは、どこの国でも似ています。

 

「日本から機関車を見に来たんですよ」

 

そんな事言ったって、通じるわけはありませんが、おばあさんは笑っていました。

 

畑の先の崖にさしかかると、私は恐る恐る、下を覗いてみました。

 

シューーー!

 

停っていたのは小竹直人氏の本やインターネットのサイトで見たことがある上遊型でした。05それにしてもその重厚な姿には感動しました。

まるで99番ホームに停車する『銀河鉄道999』のように、静かに煙を吐いていました。

煤と泥だらけで、汚らしい機関車でしたが、どこか懐かしさを感じました。

 

なぜ懐かしさを感じたのか?

それは汚らしいのですが、日本で走っている蒸気機関車と決定的に違っていたことです。

蒸気機関車は産業の発展のために交通手段の一つとして発明されました。

しかし、日本に於いて、現在では産業遺産として、保存目的でしか残されていません。

でもこの炭鉱の機関車たちは、本来の使用目的のまま生きているんです。

 

このリアリティは現代の日本では見られません。

 

日本ばかりか、世界中で、中国と北朝鮮だけだと聞きます。

どこか懐かしさを感じたのは、あの下関でたった1度だけ見たD51を思い出したからなのかもしれません。

 

興奮する私を横目に、上遊型機関車は土砂を満載した貨車を牽引して、走り去っていきました。

その力強い後ろ姿を見て「本当に来てよかった」と思えました。

 

それ以来、私の中国鉄道紀行が始まったのです。

 

 

執筆者:神田勲
《ぷぅやん》当サイトの管理人。撮り鉄一筋のキャリアは40年以上。2008年より中国に渡り、現役の蒸気機関車を追い続ける。その活動をYouTubeに投稿し続け、チャンネル登録者は約9000人を超えた(2016年5月現在)。その派生形として、当サイトを立ち上げた。

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