【中国撮り鉄奇行③】中国・遼寧省・南票鉱務局

私が中国を放浪する中で、最も記憶に残っているのは遼寧省の南票鉱務局鉄路です。

南票鉱務局鉄路とは遼寧省の錦州から車で1時間ほど行った場所にある炭鉱の鉄道です。

国営企業である鉱山から石炭を運んだり、通勤する労働者を運んだりするための鉄道なんです。05私が初めて南票を訪れたのは2008年の6月でした。

南票の街に降り立った時、笑いが込み上げてくるのを感じました。

何しろこのあたりは、農家と炭鉱労働者しかいません。

観光地などありませんから、中国人ですら旅人はいません。

 

そして、農家の人々は、ロバや馬の荷車で物を運んだりしています。

もう21世紀に入って久しいのに、ここだけは時間が止まっているかのようです。

世界にはまだまだ、そんな風景が残っていることは知っていましたが、それはあくまでテレビの世界の中のものであり、自分が訪れることなど一生ないと思っていました。

 

そんな場所に、わざわざ撮り鉄のために出向くことになるとは、我ながら“紀行”ならぬ“奇行”としか思えませんでした。

ゆえに自然と笑いも込み上げてきたのです。

 

当時、炭鉱の鉄路には上游型蒸気機関車が走っていました。

中でも山家子行きの客レ(客車列車)はマニアの間でも有名で、それを追いかけるため、私はバイクタクシーで始発駅の黄甲屯駅に向かいました。

ところが黄甲屯駅に向かう途中の機関区を通り過ぎる時、ふと見ると、上游型蒸気機関車が客レをつないで停っていて、しかも機関車は黄甲屯ではなく、三家子側に着いています。

 

不審に思った私は乗ってきたバイクタクシーを停めてもらいました。

すると私が何をしたいのか、そのドライバーは理解してくれました。

そして黄甲屯駅の方角を指さして「メイヨー(ないよ)」と言いました。

どうやら蒸気機関車は黄甲屯駅には行かないようです。

 

「ミンパイラ チン ホイ チュイ!!(わかった。戻ってくれ)」 と私が叫ぶと、ロンドンブーツの淳さんに似たそのドライバーはニヤリと笑い、私にバイクタクシーに乗り込むように指さしをしました。

そして私が乗り込むと、物凄い勢いでバイクタクシーを走らせたのです。

 

私がいわゆる『追いかけ』をやりたいと思っていることを、そのロンドンブーツの惇さんに似たドライバーは理解してくれているようでした。

上游型蒸気機関車が牽く客レの向かう三家子の駅の方向に向かって走りつつ、途中でナイスなポイントがあると車を停めてくれました。

後からくる機関車を私が撮影すると、急いで次の撮影ポイントまで車を走らせてくれました。

 

途中で機関車と併走する場面もありましたが、バイクタクシーがぶっこわれてしまうのではないかと思うくらいの勢いで走ってくれました。

 

当時の南票鉱務局には、日本をはじめとする海外からの撮り鉄たちが数多く訪れていたので、同じように車をチャーターして、撮影を行なう人もたくさんいたようなのです。

 

ロンドンブーツの淳さんに似たそのドライバーは名前を楊さんと言いました。

 

楊さんが車を停めてくれるところはすばらしい場所ばかりでした。

 

撮影しては全力で走り、次のポイントで待ち構える。

「ゾウクアイ!!ゾウ クアイ!!(急いで!!急いで!!)」

と私が言うと、楊さんは「がってん承知!!」とばかりに車を走らせてくれます。

 

再び客レを追い越し、サミットに通過直前にポイントに到着。

急いで三脚を立てて待っていると、爆煙とともに上游型がゆっくりと、そしてあえぐようにサミットを登ってきました。

 

楊さんが私の後ろからビデオカメラのモニターを覗き込み、ニッコリとしながら親指を立てます。

「ヘンハオ!!(とてもすばらしい)」

客レの通過後、私が言うと、楊さんはさらにバイクタクシーに乗れと指差します。

次のポイントでは踏み切りになっていて、そこは当然のごとく道路を車が往来していました。

三脚をセットしていると遠くに客レが見えました。

しかし、交通量が多く、カメラの前を大型トラックが遮ります。

 

と、その時。

 

楊さんがいきなりトラックの前に出て、交通整理を始めたのです。

 

おかげでストレートを駆け下りてくる客レがばっちりと押さえられました。

さらに私がカメラをパン(画面を振って被写体を追う)すると、そこには雑草が生い茂っていたのですが、「あ〜、しまった……気づかなかった」と思っていると、楊さんが今度はその雑草を掴んで倒してくれたのです。

 

私は本当に驚きました。

ここまで細かい気配りができる人は、日本人でもなかなかいません。

単に列車の追いかけをするだけなら、どのドライバーでもできるでしょう。

 

しかし、的確なカメラポジションの案内、そして客が求めている状況を咄嗟に判断し、実行してくれるんです。

これらはそう簡単にできるものじゃありません。

 

楊さんのおかげで、結果的に三家子までの間に満足のいく動画が3カットも撮れてしまいました。

三脚のセッティングがいらない、スチール写真だったら、さらにもう2カットくらいは行けたかもしれません。

 

楊さんは昔、鉱務局に勤めていたそうで、鉄路の職員ともツーカーでした。

そのため、その後は不定期でやってくる貨物列車のダイヤも、知り合いの職員に問い合わせて調べてくれたため、とても効率よく撮影ができました。

 

ただ一つ気にかかったのは、値段交渉もしないうちにチャーターしてしまっていたことでした。

これだけの良い仕事をしてもらったのですから、ある程度のギャラは覚悟していました。

 

ホテルまで送ってもらったところで、私は楊さんに 「ドウ シャオ チェン?(いくら?)」 と値段を聞きました。

「リウシー(60)」

楊さんはニコニコしながら言いました。

60???

60元(当時のレートで日本円にして900円)ってことでしょうか?

私の聞き違いかと思い、確認のため紙に値段を書いてもらいました。

楊さんはやはり60元と書きました。

 

たしかに初乗り4元が相場のバイクタクシーですから、60元なら15人を乗せた計算となります。

彼らの貨幣価値からすると、日本人にとっての1万円くらいの感覚なのかもしれません。

だけど楊さんの場合は運転+αのガイド料だってあります。

安いからいいというわけじゃありません。

プロのガイドでもなかなかやらない(できない)ことをやってくれた上に、それに対してのギャラを要求するわけでもありませんでした。

その心意気に感動したのです。

 

私はお礼の意味も込めて楊さんを食事に誘いました。

「ブーシー、ブーシー」

楊さんは遠慮して、最後まで応じませんでした。

もしかしたら、まだ仕事をするつもりだったのかもしれません。

あまり引き止めても悪いので、私はそのまま楊さんを見送りました。

とても気分の良い一日の終わりでした。

 

こんな素晴らしい人に、偶然出会えたことを私は感謝しました。

 

それ以来、南票に行く時は楊さんに連絡し、いつも車をチャーターさせてもらいました。

現在、蒸気機関車が廃止されてしまったため、南票に行くこともありませんが、楊さんには今も時々連絡をしています。

何かのトラブルで機関車が足りなくなり、蒸気機関車が急遽復活!なんて話も中国では時々あるからです。

残念ながら、そのようなことは今のところ起きていませんが、いつかまた、楊さんの案内で蒸気機関車を追ってみたいと思っています。

 

こんな出会いがあるのも海外で撮り鉄をやる楽しみの一つです。

 

 

執筆者:神田勲
《ぷぅやん》当サイトの管理人。撮り鉄一筋のキャリアは40年以上。2008年より中国に渡り、現役の蒸気機関車を追い続ける。その活動をYouTubeに投稿し続け、チャンネル登録者は約9000人を超えた(2016年5月現在)。その派生形として、当サイトを立ち上げた。

このページの上へ