【われら TETSU family】 file.5 高橋団吉(後編)

(前編は コチラ から)

「島秀雄」を世に広めた男
『新幹線をつくった男』著者
独占インタビュー(後編)
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島秀雄って、「ちょっとつまんねぇ奴だな」。

 

――島秀雄さんのことは、すごく楽しんで書かれていますよね。たとえば、島秀雄のモラル「直角・水平・垂直主義」だったり。

個人的には、島秀雄さんとは真逆なんですよ、僕は。机の上も、引き出しの中も部屋の中も、「直角・水平・垂直」になんか、整理できない。思いつきばっかりで、合理的な推論力に欠けてる。得意なのは、サッカーだけだしね。サッカーって、非論理的、非合理的な閃きスポーツなんですよ。本当にいいプレーって、頭より体で閃いちゃう。とっても「直角・水平・垂直主義」じゃ、通用しない(笑)。そういうサッカー小僧の頭で考えちゃえば、島秀雄って、「ちょっとつまんねぇ奴だな」と(笑)。

――すごく細かい方ですよね。

テレビドラマの台本では、食卓上の食器類が全部「直角・水平・垂直主義」に並べられていた……って書いてある。台本の読み合わせの時に、ある俳優さんが、「嫌なやろう」って舌打ちしてました(笑)。僕もね、はじめはちょっと窮屈な人なのかなと思っていました。でもね、鉄道技術者はそうでなくちゃいけないんです。絶対安全を追求してくれなきゃ困りますからね。「精神」などというものより、どこまでも冷徹に「合理」を貫いてくれなきゃ。
そういう合理に徹する男が、還暦近くなってから十河信二という「人間」に徐々に目を開かされていくんですよ。それが、昭和30年代の国鉄で演じられた東海道新幹線開発のドラマなんだと思う。

 

夢の超特急はやっぱり「夢物語に終わる」のだろう……。

 

――島さんは十河信二さんという人間に衝撃を受けていたんですね。

ええ。島秀雄が十河信二に口説かれて国鉄技師長に就任するのは、昭和30年12月1日です。理事の任期は3年なんですよ。原則、重任しない。この任期3年の間に島技師長は、在来の狭軌線に最新の鉄道車両を走らせることに集中する。「ビジネス特急こだま」のデビューが、昭和33年11月1日ですよ。これが「ムカデ式の最終形」と僕は書きましたが、鉄道技術者・島秀雄の渾身の傑作です。自分の持ち時間3年間で、ぴったり「こだま」まで完成させている。正確にいえば、この間に日本国有鉄道法改正によって任期が半年間延びて、昭和34年6月までになるわけですが。

私の解釈では、技師長の任期三年間に、十河信二の後ろ盾を得て在来線を近代化をすることに全力を尽くすんです。で、この間に臨時車両設計事務所も出来る。どんどん、次から次へと新しいムカデ式電車がデビューします。狭軌在来線の黄金時代を迎えます。もちろん、狭軌の高速最新形をつくっておけば、これを広軌新線に走らせれば新幹線につながるわけですが。とにかく、島秀雄は自分の任期はここまで……と考えていたはず。「こだま」デビューの時、夢の超特急=東海道新幹線はまだ計画段階ですよ。夢の超特急はやっぱり「夢物語に終わる」のだろうけれど、できることをやっておこう、と。はっきりしているんですよ、彼のやっていることは。

――ところが、技師長に再任されます。

十河信二の力ですよね。十河総裁が総裁任期4年間をからくも乗り切って、「まさかの再任」を遂げる。財政赤字、激烈化する労使対決、大事故、汚職、政争……何度も何度も引責辞任の瀬戸際まで追い詰められながら、かろうじて踏みとどまる。しかも、その間に、制度改革を断行しながら、夢の超特急計画を「たった一人の夢物語」からスタートさせて、四苦八苦の末に政府決定まで持ち込む。その十河パワーたるや、すっさまじい。調べれば調べるほど、とてつもない「人間力」といわざるをえない。

そうして、十河続投が決まってから、十河パワーによって島技師長の再任も決まる。さらにあと3年の持ち時間ができるわけです。ここから、島技師長の夢の超特急建設への全力投球がはじまる。もちろん、いろいろ案件はあるにせよ、「新幹線」を走らせることが彼の大目標になっていくんです。もう最後は、島秀雄は、十河信二にべったりです。「合理」の島が、十河信二の「人間力」、言い換えれば「意志と決意」に殉じていく……。
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技術者というのは技術だけでは生きていけないんだ。

 

――台車や技術的なこともかなり書かれていますよね。

台車は鉄道車両の要なんですよ。昭和33年、国鉄の鉄道技術研究所に「車両試験台」というものが出来て、まっさきに新幹線の試作台車の研究を始めるんです。島秀雄の一番弟子というべき石澤應彦、ご子息の島隆さんたちです。島秀雄は、その前の昭和20年、敗戦の年に、「高速台車振動研究会」というもの立ち上げています。民間の車両会社たちの技術者を集めて、将来の高速走行台車の研究をはじめる。ここに、国鉄に入省一年目の石澤が呼ばれるんです。石澤應彦は車両技術者とくに高速台車の第一人者として島技師長を支えていくんですね。この「高速台車振動研究会」の面々が、その後の湘南電車、小田急SE車、モハ90などの新型車両のなどの開発を担っていく。
さらに遡れば、島秀雄は、東京空襲下の昭和19年に、中野の宝仙寺学園というところに若い技術者を連れて避難しています。そこで校庭で芋をつくりながら、将来の高速台車研究を始めるんです。東京大空襲では鉄道技術者の実弟を失っています。そんな時に、未来の超特急の研究をする。島は、日本で走るなんて思ってなかったと僕は思いますけどね。戦争が終われば、どこか条件の整った国で、きっと走り出す。その時に役立つことができるように……というのが彼の考え方なんですよね。

ただし、敗戦直後の島秀雄は、「ここはチャンスかもしれない」と思ったんじゃないかな。がんがん動き始めてますからね。でも、やっぱり徐々にトーンダウンする。せざるをえない。戦後になっても、国鉄という大組織は、なんら変わらない。制約が多すぎる。自主性が奪われている。お役人と政治家に御用うかがいしなければ、なんにもできないんですよ。「日本国会有鉄道」なんて皮肉られてますからね。島秀雄は、次第に絶望していく。島秀雄の技術哲学は、「国や企業、個人の名誉のために仕事をしてはいけません」というものなんです。「近代技術は総合的な集積である。いずれどこかで役に立てればいい。人類の知見に貢献せよ」。裏を返せば、そう考えざるをえないほど、国鉄には自由がなかったということだと思います。実父の島安次郎も、国鉄の「車両の神様」といわれた技術者で、彼もさんざん苦しめられていますからね。親子二代で、「日本国有鉄道のやりにくさ」を知り抜いていた。
ところが、十河信二という老総裁があらわれて、この硬直した日本最大の大組織に大ナタを振るうんですよ。誰もが不可能とあきらめていたことを、「虚仮の一念」でやり通す。

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■開業まもない新幹線車内の十河信二と島秀雄。

 

世界一の夢の超特急を作ろう!

 

――島さんと十河さん、この2人がいたからこそ「新幹線」は完成したんですね。十河信二さんという人は、一言でいうとどんな人ですか。

「意志」の人だよね。意志というものが、どれだけ大きな力を持っているか。それを証明した人だと思います。あるいは、そのことを証明しようとした人。失敗を重ねながら……。
本にも書きましたが、「百戦百敗の男」なんです。学生時代も、鉄道省官吏の時代も、満鉄理事・興中公司社長の時代も、戦時中の浪人時代も、とにかく失敗している。高き理想を掲げて、猪突猛進するんだけれど、かならず挫折しちゃう。でも、めげない。百戦百敗しながら、さらに理想を高く掲げる。ますます「意志」を強く、鍛える。
すっごいよねー。

もちろん、単に「意志」だけの強い、根性一本やりの男だったではなくて、「洞察力」「構想力」「企画力」というものも、桁外れでした。
だいいち、昭和30年5月の国鉄総裁就任時に、まっさきに鳩山首相に「東海道新幹線をつくらせてくれ」って申し入れるんですからね。「いくらかかるかわからないけれど、日本を再興するためには絶対に必要なものだから、首相として<断>を下してほしい」と直訴する。当時、国鉄は惨憺たる状況なんです。財政赤字、施設・車両の老朽化、大事故、組合闘争……。国鉄総裁には、誰もなり手がないんですよ。だいいち、総裁になったところで、何をどうすればいいのか、さっぱりわからないんだから。せめて、何とかお金を捻り出して、在来の鉄道線を少しずつ改善していくしか手がない……。そういう時に、まるごとシステムを一新させよう。世界一の夢の超特急をつくろう……と言い出すんですから。
その洞察力、構想力の筋金入りさ加減っていったら、ものすっごい。そのものすっごさは、歴史が証明しています。

――島さんは十河さんをどう思っていらっしゃったんでしょうか。

島秀雄は、十河信二に対して、尊敬の念を深く、深く刻んでいきます。島は、東海道新幹線開業後にこんなふうに書いてますよ。……新幹線が短期間で高水準の超特急として完成されたことには、戦後の長足の技術発達がある……。「それにもまして人間というものは、ある決意のもとに事を進めていけば大体何事でもやれるものだという教訓を、この鉄道からわれわれは教えられたような気がする」。僕はね、いまでも、この一説を冷静に読むことができません。ウルウルきちゃう(笑)。

この「ある決意」というのは、もちろん、十河信二の巌のごとき「意志」の力のことです。
十河信二は、つねづね「主義・主張や利害というものは、立場によって違って当たり前だ」と言っているんですよ。その違って当たり前の人間関係、社会関係の中で、人と人との信頼関係をどう結んでいくか。どうやって大プロジェクトを進めていくのか。これが彼の生涯のテーマ。そこを突破していく力は、やっぱり「意志」なんですよ。主義・主張・利害・立場を越えて、「意志」の力が、人を動かしていくんです。

当初、東海道新幹線画は、老総裁の「たった一人の夢」から始まりました。誰もかれもが「老人の夢物語だ」と言って、まとに相手にしなかった。しかし、老十河が「意志」を貫き続けることによって、少しずつ、シンパを増やしていくんです。国鉄部内、官僚、政治家……、徐々に「ジイサンのためなら……」と働く人々が増えていって、そして最後は世論まで動かしていく。東海道新幹線の全線515kmの工事は、用地買収に手間取ったこともあって、実質的にはわずか2年半程度の工期で完成されます。国鉄マン、用地課員、建設業者のスタッフたち、車両、電気関係の技術者……数えきれないほどの人たちが文字通り、身を粉にして、夢の超特急建設のために働くんです。

十河信二は、ものすっごい「人たらし」でもありました。
本人も、国鉄総裁を二期8年間も勤めることができるとは、とても思っていなかったと思いますよ。病気持ちでしたし、老齢でしたしね。本人は「虚仮の一念」という言い方をしています。大事を成し遂げるにはやっぱり「虚仮の一念」を貫き通すことだと。その「虚仮の一念」が、島秀雄技師長、大石総局長はじめとする万を超える人々を動かしていくんですよね。
だから新幹線は『意志の超特急』なんです。

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■『新幹線を走らせた男』あとがき より。

 

――『意志の超特急』が走り出してから半世紀が過ぎました。
昭和30年代の後半には、老総裁の“檄”に応える人たちがたくさんいて、新幹線開発の大きな力になっていました。これからも技術だけではなく、そういう思いを受け継いだ人たちが鉄道の未来を創りあげていくのではないでしょうか。

 

高橋さん、今日はありがとうございました。

 

【株式会社デコ】
1988年設立。代表、高橋団吉。
書籍等の出版、制作物の企画・編集が主業務。ソーラーカー&EV関係部品の開発・販売(ZDPショップ)、レーシングチーム「ZDP」の運営も行う。95年にFIAワールド・チャンピオン・シップ獲得。
http://www.deco-net.com/

 

(写真提供 / 高橋団吉  取材・文 / 荒木みか )

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