【われら TETSU family】 file.6 竹中平蔵(前編)

『鉄道は夢の場所へ行く手段』
独占インタビュー(前編)

takenakasensei01

  東洋大学教授
  慶応義塾大学名誉教授
  1951年 和歌山県和歌山市生まれ
  経済財政政策担当大臣、元金融担当大臣、元総務大臣。元参議院議員。

 

―― まずは鉄道との出会いを教えてください。

私は子どもの頃、時刻表マニアだったんですよ。当時は父親がいろいろなところへ鉄道で旅行に連れて行ってくれたんです。だから知らない街に鉄道で行くという魅力や楽しさを理屈なしに感じていたんでしょうね。「遠くへ行きたい(作詞:永六輔 作曲:中村八大)」という曲があったんですが、あの曲の歌詞のような夢ってみんなありますよね。それって今で言うと、ドラえもんの「どこでもドア」だと思うんですよ。今はグローバル化されましたから、夢の場所にも飛行機で行けますけど、当時、そこに行く道は鉄道しかなかったんですよ。鉄道こそが【夢の場所へ行く手段】だったんです。もう一つは鉄道が持つ独特の空気、「鉄路の上を正確に走り続ける」ということですね。それが何か人間の生き方に通じるものがあって、頼もしく思えたんですよ。今は夜行列車なんてほとんどなくなったけど、当時は夢を乗せて、夜通しどこかで列車が走っているということを思い、時刻表を見ながら「今、急行銀河がどこそこを走っているな……」とか、そういうことを考えるのが好きでした。

 

―― 夜行列車といえば、カシオペアにも乗車されたと聞きました。

日本にはブルートレインもありましたが、海外にはオリエント急行とか、夢のある鉄道がいっぱいあるじゃないですか。そういうものが出てくるのが、日本ではどちらかというと遅れましたよね。たぶんそれは国鉄だったからだと思うんですが、今の民営化されたJR九州の列車とか楽しいですよね。そういうものを自由にやっていいという経営の柔軟な発想が、たぶん国鉄にはなかったんでしょうね。それが民営化されてようやく出てきました。その象徴が私にとってはカシオペアだったんです。

takenakasensei02

―― 実際に乗車していかがでしたか。

私が乗ったのはスイートだったのですが、二階建ての車両で下が寝室、上が応接室になっていて、予約して食堂車でディナーを食べて、シャワーもして……非常に快適でしたね。上野を出て盛岡くらいまで起きてたのかなあ……。それからぐっすり寝て……気がついたら長万部のあたりを走っていましたね。

知らないうちに鉄道技術が進歩していた

 

―― 起きたら北海道に入っていたのですね。では、青函トンネルは見なかったのですか。

全然気づきませんでした(笑)。その時、びっくりしたことが一つあるんですよ。昔の客車は“ガタン!!”という衝撃で目が覚めることがよくあったんですが、今はならないんですよね。列車が停まる時に衝撃を吸収するんですよ。ガッチャン、ガッチャン、ガッチャンという衝撃がない(※昔の客車は連結器の部分に遊びがあり、発進と停止の時にかなりの衝撃があった)。全部吸収していくんですよ。これには感動しましたね。こういう技術が知らないうちにできているというのがびっくりしましたね。
takenakasensei03

―― 昔とくらべると列車自体も技術が進歩しているのですね。

ただ、そういう技術の進歩が、反対に夜行列車の旅の面白さをなくしている部分もあると思うんです。楽に行くなら飛行機で行けばいいんですから。それと昔の列車には愛称がついていたでしょ? ああいうのは素晴らしいと思うんですよ。急行「銀河」、急行「月光」、急行「よど」、急行「なにわ」……。飛行機にはついていませんよね。だから飛行機にもつけたらいいと思うんですよ。たとえば「銀河」なら「ギャラクシー」だから「日本航空005便ギャラクシー」とかね(笑)。そういう遊びがあってもいいんじゃないかな。

 

―― それは面白いですね! とくにお好きな愛称はありましたか。

どれが好き、というのはなかったですけど、関西から広島に行く準急「ななうら」と「壇ノ浦」というのがありましてね。この二つの名前がすごくいいなと思って好きでしたね。それと私の地元は和歌山なのですが、準急「きのくに」が好きでした。今は特急「くろしお」になっていますけど、最初あれは準急「きのくに」から始まったんですよ。準急から急行になって、特急「くろしお」になったんじゃないかな。

 

―― 愛称と言えばブルートレインが思い浮かびますが、ブルートレインの思い出はありますか。

ブルートレインが登場するもっと前の時代に、父に客車時代の「月光」に乗せてもらったことがありますね。それと誰も覚えてないかもしれないけど……当時、急行「大和」というのがあったんですが、これは最初、地元の和歌山から各駅停車に一両だけ寝台車(ナハネフ11)がついていて、王子まで行って、王子で急行『大和』につないで、そこから関西本線を通って名古屋に行って、そのまま東京に行けるのがあったんですよ。

 

―― 各駅停車だった客車一両だけが、途中から急行につながれて東京に行くのですか? それはすごいですね。

そうなんです。当時、私は駅までその寝台車を見にいきましたよ。「これに乗れば東京に行けるんだな……」と、東京を思い描きながら見ていました。以前、JRの幹部の人と話した時、その話をしたら「そんなのあったんですか?」ってびっくりしていましたよ(笑)。

 

JRの幹部も知らない幻の列車を見た

(以下後編につづく)

『鉄道は夢の場所へ行く手段』

 

 

このページの上へ