【われら TETSU family】 file.10 石破茂(その1)

『乗り鉄&飲み鉄・元自民党幹事長
国鉄時代を大いに語る!』
独占インタビュー(その1)

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昭和32年2月4日生
鳥取県八頭郡八頭町(旧郡家町)出身
衆議院議員
防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣、
自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長、
内閣府特命担当大臣兼地方創生担当大臣等を歴任

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 ――なぜ鉄道が好きなのですか。

それは、なんで好きなのか理由が説明できれば誰も苦労はしないですね(笑)。
「あなたはなんでこの女の人が好きなのか?」と聞かれて説明ができないのと一緒です。「好きなものは好き」としか言いようがないです。乗り物好きって男の子はだいたいそうじゃないですか? 男の子たちは「子どもの頃から乗り物が好きでした」と。
私は自動車も飛行機も船も鉄道も何でも好きですけどね(笑)。船ってそんなにめったに乗る機会はないから。飛行機はしょっちゅう乗りますけど、鉄道みたいな多様性はないですよね。自動車は日常的。自分で運転して楽しむものですが、楽しみ方はそれぞれ違いますよね。

――何鉄ですか?

究極の「乗り鉄」兼「飲み鉄」ですね(笑)。
鉄道ファンの流派は「乗り鉄」「撮り鉄」「読み鉄」と大きく分けてこの3つなんでしょうな。乗るのが好きな人、撮るのが好きな人、時刻表を読むのが好きな人。大きく分けるとこの3派。私はとにかく乗ってればいい。乗り鉄もSL派と客車派と気動車派に分かれるわけですが、私は断然客車派です。

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――世代的には蒸気機関車のファンですか?

蒸気機関車はあちこちでモクモク煙を吐いて走っていました。普通列車はだいたい蒸気機関車が牽引していましたね。だから蒸気機関車ってあまり珍しいものではなく、当たり前でした。むしろ我々が子どもだった昭和30年代、40年代というのは初めて『ディーゼル特急』というものが出てきました。それは博多から京都までというもの凄く長い距離を走って14両編成くらいでしたかね、『特急まつかぜ』というのが登場しました。

――『まつかぜ』を初めて見たのはいつですか?

小学校に上がる前じゃないでしょうか。正確には覚えていませんが、『特急まつかぜ』が山陰線に入ってきたのは昭和37年くらいの頃じゃないかな。これは凄いことでしたね。ボンネット型の『はつかり』なんかもディーゼルカーでしたけど、特急なるものが自分の街に来るということが、衝撃的というか感動的というか、そんな感じでしたね。

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――当時だと82系でしょうか。

82系ですね。それはもうすごかったですね。非常に特別感があった。今は急行なんてなくなってしまって、みんな特急ですけど、本当に当時は『特別な急行』。『特急』の名前そのもので、見るのもワクワクしたし、年に1回か2回乗れる時は前の晩に寝られなかったですね。

――思い出に残っている列車を教えてください。

それはやはり『急行出雲』。昭和38年11月だったと思いますが、私が小学校1年生の時でした。上の姉が東京で結婚するので東京まで行きまして、下の姉と鳥取から『急行出雲』に乗ったのが鮮烈な思い出ですね。あとは『特急まつかぜ』に乗って、食堂車でビーフシチューというものを頼んだんですね。親とか姉が頼んでいるので、「なんかおいしそうだ!」と思って(笑)。でも大人の味で全然美味くなかったんですね。クリームシチューのようなものを想像していたのですが、フォンドボーか何かを使ったシチューで全然甘くないと、ガッカリして泣きそうになった思い出があります。

――議員になった当時も頻繁に寝台列車を使ったとか?

今から30年も前の話で、JRがまだ『日本国有鉄道』と言っていた時代です。当時は地元に帰る飛行機代なんて国から出なかったんです。出たとしても2往復分くらいでした。当選1回とか2回とかそんな頃は、週に3~4往復してまして、飛行機じゃなく国鉄に乗るのは当たり前のことでした。昼間の特急なんか使っていると、当時は新幹線と組み合わせても片道7時間かかりましたから、なかなかそういうわけにもいかず、夜行列車を頻繁に使いました。多い時は4晩連続で乗りました。寝台特急で帰って、何カ所か演説をするとか、企業訪問するとか。鳥取は1日に3便しか飛行機が飛んでなかったですからね。どれかの飛行機に乗って東京へ戻り国会にも出るという感じです。反対に夕方の飛行機で帰って夜遅くまで鳥取にいて、夜行列車で東京に戻るという組み合わせ。もちろん夜行特急だけじゃダメなんで、大阪行きの『急行だいせん』とか夜行バスとかね、いろんなものを組み合わせて乗ってました。

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――一番楽しかった列車は何ですか?

『特急出雲』の25系だか14系だか、どっちでしたかね、それが個室寝台を連結していたんですね。最初に議員になった頃は「寝台券」って国から出なかったんです。「それ宿賃でしょ?」とか言われて。だから寝台券は自分で買って乗っていたので、当然B寝台の上段が一番安いからそれに乗ってたんです。でも、途中から国民のみなさんにはご負担をいただいて申し訳ないんですが、寝台券も国から出るようになって、A寝台個室などというものにも乗れたんですよ。これはすごくてね、ビデオデッキがついていたんです。シャワールームもついていました。乗ると駅で買い込んだビールや日本酒やウイスキーとかを飲みながらビデオを見ていたんです。これはもう二度と戻ってこない夢の時間でした。
当時は当選1回、2回で選挙も大変、まだ議員としての経歴も浅くて、ひたすらお願い。何か陳情を受けても、なかなか自分でもこなしきれない案件も多くて辛かったですよ。心身ともに疲労困憊して鳥取から『特急出雲』の個室に乗ると、ふっと世界が変わって、何かこうスイッチが切り替わるようなところがあって、そこで蘇生したというか、リセットされたというか、そうやって東京に出ていましたね。
逆もそうで、当選1回、2回は若かったのもありますけど、そんな仕事もバリバリできるわけでもないし、結構落ち込んで東京駅から夜行列車に乗る。そうするとまた夢の空間が待っている。そんな感じでしたね。あの時に夜行特急で移動していなかったら、今の自分はなかったかもね。

【鉄道王動画チャンネル】

聞き手/ぷぅやん

その②へつづく)

 

 

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